カチャーシー
八重芸(八重山)では、あまりカチャーシーという言葉は使わない。モーヤーと言うんだよと、当時の八重芸では教えられたのですが、さて、今はどうでしょう。八重山でもカチャーシーと言うことが多いかもしれません。
沖縄本島では、「モーヤー」と言うと「踊る人」という意味になります。
「やーやもーやー、わんねー歌さー」(おまえ、踊る人、オレ、歌う人)
ということになる。あ、そうそう。最近「うたしゃ」という言葉を聞きますが、これはもともと奄美大島の方の言葉だったと思います。「歌者」という漢字をあてているようですね。沖縄では「うたさー」か「民謡歌手」と呼ぶのが普通だったと思います。
さて、八重芸では舞台の最後はモーヤー。私が現役のころは、モーヤーを教えたり教えられたりということはありませんでした。よく言いますよね、「カチャーシーは、決まった形は無い。どんなふうに踊ってもいいんだよ」と。たしかにそうでしょうけれど、実は上手下手はある。ありすぎるほどある。つまり、上手になるには「どんなふうに踊っても」は通用しないんです。子どもの頃から沖縄で生活をしていて頭の中に「美しい踊り」ができあがっている人ならともかく、内地育ちの私などは、きれいな形、動きができるように練習をしなければいけない。ガラス窓に自分を映して練習したものでした。
私がOBになってからのある夏合宿。発表会前日のリハーサルを最後まで見て、愕然とします。1年生のモーヤーの下手なこと。
「こりゃちょっとひどすぎるぞ。モーヤーは教えるものじゃないなんて言っていられない。教えた方がいいよ」
と言いましたら、当の1年生が「是非教えてほしい」と声を上げました。その年から、モーヤーも下手な人にはある程度教えるものと考えるようになりました。
私は踊りは苦手ですが、それでもOBとなってから新入部員のモーヤーを見ては気づいたことを伝えるようにしてきました。その中である傾向に気づきました。内地出身のモーヤー下手は、必ず肘が内側に入る。これを外側に出すだけでずいぶん形が良くなります。私は大発見だと思っているんですけどね。
沖縄本島では、「モーヤー」と言うと「踊る人」という意味になります。
「やーやもーやー、わんねー歌さー」(おまえ、踊る人、オレ、歌う人)
ということになる。あ、そうそう。最近「うたしゃ」という言葉を聞きますが、これはもともと奄美大島の方の言葉だったと思います。「歌者」という漢字をあてているようですね。沖縄では「うたさー」か「民謡歌手」と呼ぶのが普通だったと思います。
さて、八重芸では舞台の最後はモーヤー。私が現役のころは、モーヤーを教えたり教えられたりということはありませんでした。よく言いますよね、「カチャーシーは、決まった形は無い。どんなふうに踊ってもいいんだよ」と。たしかにそうでしょうけれど、実は上手下手はある。ありすぎるほどある。つまり、上手になるには「どんなふうに踊っても」は通用しないんです。子どもの頃から沖縄で生活をしていて頭の中に「美しい踊り」ができあがっている人ならともかく、内地育ちの私などは、きれいな形、動きができるように練習をしなければいけない。ガラス窓に自分を映して練習したものでした。
私がOBになってからのある夏合宿。発表会前日のリハーサルを最後まで見て、愕然とします。1年生のモーヤーの下手なこと。
「こりゃちょっとひどすぎるぞ。モーヤーは教えるものじゃないなんて言っていられない。教えた方がいいよ」
と言いましたら、当の1年生が「是非教えてほしい」と声を上げました。その年から、モーヤーも下手な人にはある程度教えるものと考えるようになりました。
私は踊りは苦手ですが、それでもOBとなってから新入部員のモーヤーを見ては気づいたことを伝えるようにしてきました。その中である傾向に気づきました。内地出身のモーヤー下手は、必ず肘が内側に入る。これを外側に出すだけでずいぶん形が良くなります。私は大発見だと思っているんですけどね。
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