YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

大衆食堂

妻の母は、生前、浦添市で大衆食堂を営んでおられました。八重芸の後輩を連れて行ったことが何度かありました。そのたびに後輩たちはお母さんにあいさつをし、話をしたり笑ったり、ときには故郷の話を聞いたりして、そうそう、歌と踊りを披露したこともありました。そうして、丁寧にお礼を言って帰るのでした。八重芸の活動の中で、部員たちは島の大人(お年寄り)から芸能を教えていただきます。大人と会話をすることが必要なのです。そのせいか、いわゆる「大学生」というイメージとはちょっと違った人たちだったと思います。
ある日、多良間島出身のOBを連れて母の店へ行きました。手料理をいただきながら、多良間OBは母と話をしておりました。食事を終えて、店を出る前に私はトイレへ。トイレから戻ると、母が多良間OBに何かを言っています。多良間OBは頭をかきながら「はい・・・はあ・・・はい」と困ったような返事をしていました。母が私をみて、「ああ、もう帰る?じゃあ、行きなさい」と多良間OBを開放してくれました。店を出て車に乗って、
「いったい、何の話をしてたの?」
「はあ、最近島に帰っているのかって。で、長いこと帰っていませんと言ったら、帰りなさい。帰らないとだめだと叱られました」
「ハハハ、そりゃ気の毒だったね」
「いえいえ、でも、やっぱり宮古の人はあったかいですよねえ。オレが島に帰るかどうかなんてどうでもいいことでしょうに、あんなに真剣に叱ってくれるんですから」
こんなふうに考えられるなんて、さすが「八重芸」です。


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プロフィール
hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性