パイン
私が入部した1978年頃は、大阪では生のパインを見ることはまずありませんでした。パインといえば、缶詰。真ん中に穴の開いた黄色いあれです。シロップにつけてあるので、とにかく甘い。缶詰でありながら、子どもにはちょっと高級なフルーツでした。
それが、八重山では栽培されている。宮良の先輩の家のそばには「パイン工場」がある。なんだかすごい。
「子供のころは、芯がおやつだったよ」
とその先輩が話します。へー!と驚いたのは私だけではなく八重山出身者もでした。これは八重山全体の話ではなくて、パイン工場が近くいある家の子どもの話だったようです。
「パイン工場の裏に行って、芯をもらって食べるわけ。でもさ、食べすぎると舌が痛くなって大変よ」
その先輩の家はパイン農家ではありませんでしたが、パインはとても身近なフルーツだったんですね。
もう一人、川原の先輩はパイン農家でした。
「パインは夏でしょ。重たいわけさ。学校から帰ると手伝われるから、帰るのがいやだったなあ」
同じパインでも、思い出はさまざまです。
それが、八重山では栽培されている。宮良の先輩の家のそばには「パイン工場」がある。なんだかすごい。
「子供のころは、芯がおやつだったよ」
とその先輩が話します。へー!と驚いたのは私だけではなく八重山出身者もでした。これは八重山全体の話ではなくて、パイン工場が近くいある家の子どもの話だったようです。
「パイン工場の裏に行って、芯をもらって食べるわけ。でもさ、食べすぎると舌が痛くなって大変よ」
その先輩の家はパイン農家ではありませんでしたが、パインはとても身近なフルーツだったんですね。
もう一人、川原の先輩はパイン農家でした。
「パインは夏でしょ。重たいわけさ。学校から帰ると手伝われるから、帰るのがいやだったなあ」
同じパインでも、思い出はさまざまです。
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