YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

パイン

私が入部した1978年頃は、大阪では生のパインを見ることはまずありませんでした。パインといえば、缶詰。真ん中に穴の開いた黄色いあれです。シロップにつけてあるので、とにかく甘い。缶詰でありながら、子どもにはちょっと高級なフルーツでした。

それが、八重山では栽培されている。宮良の先輩の家のそばには「パイン工場」がある。なんだかすごい。

「子供のころは、芯がおやつだったよ」

とその先輩が話します。へー!と驚いたのは私だけではなく八重山出身者もでした。これは八重山全体の話ではなくて、パイン工場が近くいある家の子どもの話だったようです。

「パイン工場の裏に行って、芯をもらって食べるわけ。でもさ、食べすぎると舌が痛くなって大変よ」

その先輩の家はパイン農家ではありませんでしたが、パインはとても身近なフルーツだったんですね。
もう一人、川原の先輩はパイン農家でした。

「パインは夏でしょ。重たいわけさ。学校から帰ると手伝われるから、帰るのがいやだったなあ」

同じパインでも、思い出はさまざまです。

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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性