YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

アンガマ

1年先輩に、新川の青年会の人がいました。
「アンガマの地方、いっしょにやらんか」
3年生だったか4年生だったか、夏合宿の後でこんなことを言われたのでした。八重芸としてはこの上ない幸せ、光栄です。地元のお祭りなどに参加できることは、芸能の本質に触れることのできる最高の機会です。
「はい。で、どんな準備をすればいいんですか?」
「とにかく、サングラスがいる」
アンガマがどういうものかは、だいたい知っているつもりでした。でも、実際に見たことはありませんでした。いったい、どんな曲をどのように演奏するのかもわからず、とにかくサングラスと三線を用意して集合場所へ行きました。
青年会の皆さんが集まっています。先輩を見つけ、準備です。着物を借りて、笠をかぶり、出発を待ちます。このとき、三線は先輩と私の二人だけだということを知ります。何もわからずに、列の中に。
「そーろんがなしぬうしゅまいだー・・・」
歩きながら歌うんです。初めて聞いた曲です。短い曲ですので、歩きながら覚えます。ある程度覚えたら、声を出します。
「とーさんなーさんかりおーりー」
「違う。とぅーさん」
歩きながら指導していただきました。
家に着いたら、焼香の曲。これもその場で覚えます。うしゅまいとお客さんのやり取りの後、ふぁーまーの踊り。何を踊るか知りませんのでとにかく先輩の後をついて弾きます。なんとも恐ろしい、綱渡りのような経験でした。
この後、一晩に3軒か4軒回らせていただいたと思います。慣れというのは恐ろしいもので、夏合宿の疲れもあってか、演奏しながら居眠りをしたこともありました。先輩に迷惑をかけ続けて、アンガマは終了。先輩には申し訳なかったですが、すばらしい経験をさせていただきました。

なぜ、先輩は私に声をかけてくれたのか。私と二人だけだったことから、本当に、どうしても他の人が見つからなくて、しかたなく私を指名してくれたのかもしれません。あるいは、私にこういう経験をさせてやろうという「親心」だったのかもしれません。きっと、後者だったんだろうと思います。私は幸せ者です。

今年のアンガマはコロナウイルスのせいでできないのでしょうか。


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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性