YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

1979年の与那国

2年生でした。夏合宿が与那国で行われるので、合宿本番の二日か三日前に、部長ら役員(3年生)と一緒に与那国へ先に行きました。合宿は中学校の体育館を借りて寝泊まりするのですが、合宿が始まるまでは、与那国出身の先輩の実家(祖納)でお世話になっていたのでした。
ある日。朝食をいただいてしばらくすると、家の前に軽トラックが到着。なんだか人が集まって会話をしているのですが、聞き取れません。で、先輩が私に向かって、
「乗って」
「軽トラですか?」
「そう。乗って」
「荷台に?」
「早く。行くよ」
荷台には、すでに数名の近所の子どもたちと山羊が一頭。わたしも先輩と一緒にそこへよじ登ります。車は東へ向かって走り出します。いったいどこへ何をしに行くのか、まったくわかりません。
数分で車は停止。みんなが降りるので私も降りて、みんなが海に向かったので私も海に向かいます。
海岸には、テント=あの、運動会なんかでトラックの周りに建てられる日よけのテントです。あれが一つ。テーブルもあったように記憶しています。日陰には大人たち。子どもたちは海に駆け出しました。みんな水着などは着ておらず、さっき軽トラに乗っていたときの恰好で海の中へ。私は日陰に入ってよいのやら何か作業をすべきなのやら、わからないまま海岸でたちつくしておりましたが、先輩が近寄ってきて、
「泳いだら」
「へ?海ですか?」
「そう」
「このまま・・・」
「そう」
「はい」
島のことを知らない私は、とにかく言われたことはやる。そう心に決めておりましたので、すぐに海へ。ジャージーで入りました。いやあ、重くなるんですねえ。泳げたものではありません。まあ、子どもたちも泳いでいるわけではなくて、海に浸かってはしゃいでいるというだけでした。

どれくらい海にいたのか、何をしていたのか、もう覚えていませんが、しばらくしてからテントの方に呼ばれまして、お椀にたっぷりの汁ものとお箸を渡されて「食べれ」と言われます。
「山羊よ」
「あ、ありがとうございます」
てな会話があったんだろうと思います。これが初めての山羊汁でした。肉はやわらかい。味は悪くないと思いましたが強い臭いで食べにくい。ですがここで「食べられません」はありえません。手渡されたものはすべていただきました。
と、ここで気づきます。そういえば、軽トラに一緒に乗っていた山羊さん・・・そうか。そういうことだったんだ。
「おいしい?おかわりは」
「いえ、ありがとうございます。海、行ってきます」

今は、これがピクニックのようなものだったのだとわかるのですが、当時は、何がなんだかわからないまま時間が過ぎていきました。ですが、それが本当に貴重な経験だったなあと思うのです。島のことを知るというのは、こういうことの積み重ねだったのだと思うのです。

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プロフィール
hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性