年始回り
八重芸の石垣公演は、だいたい1月の初旬でした。1978年は3日と4日だったかと思います。多くの部員は八重山出身者でしたので実家にいるわけです。私のような八重山以外の部員は数日前に石垣に行って、部員の家に居候。私も現役時代は毎回お世話になりました。
発表会がそのような日ですので、ほとんどの部員たちは正月を八重山で過ごすことになります。せっかくお正月に部員たちが石垣に集まっているのだから、お正月をお祝いしないのはもったいない。というわけでかどうかは知りませんが、発表会の前日かその前に、数軒の部員の家に部員たちがそろって訪問して回るのです。これが八重芸の年始回りです。
三線や笛太鼓。踊りの小道具を持って(さすがに衣装までは着けませんでしたが)家を訪問。ご家族の前で「赤馬節」から始まって「六調節」のもーやー(沖縄本島で言うカチャーシー)まで、芸能を披露させていただくわけです。
私たちを受け入れてくださる部員のご家庭では、お正月のごちそうをそろえて待ってくださいます。私のような内地の貧乏な学生は恐縮してしまうのですが、そこにはいつもご家族の笑顔がありました。そして、「カリーをつけてくれて、ありがとうね」といった言葉で送ってくださるのでした。
舞台で演奏したり踊ったりするのも、お客さんに楽しんでいただいているわけですが、年始回りはお客さんが手の届くようなところにいて、笑顔や身振りや感想が直接聞ける。歌や踊りをやっていて一番良かったと思えたのは、この時だったような気がします。
芸能とは何か。とどのつまり、人を喜ばせることだと思うのです。それを実感できたのが、この年始回りでした。
発表会がそのような日ですので、ほとんどの部員たちは正月を八重山で過ごすことになります。せっかくお正月に部員たちが石垣に集まっているのだから、お正月をお祝いしないのはもったいない。というわけでかどうかは知りませんが、発表会の前日かその前に、数軒の部員の家に部員たちがそろって訪問して回るのです。これが八重芸の年始回りです。
三線や笛太鼓。踊りの小道具を持って(さすがに衣装までは着けませんでしたが)家を訪問。ご家族の前で「赤馬節」から始まって「六調節」のもーやー(沖縄本島で言うカチャーシー)まで、芸能を披露させていただくわけです。
私たちを受け入れてくださる部員のご家庭では、お正月のごちそうをそろえて待ってくださいます。私のような内地の貧乏な学生は恐縮してしまうのですが、そこにはいつもご家族の笑顔がありました。そして、「カリーをつけてくれて、ありがとうね」といった言葉で送ってくださるのでした。
舞台で演奏したり踊ったりするのも、お客さんに楽しんでいただいているわけですが、年始回りはお客さんが手の届くようなところにいて、笑顔や身振りや感想が直接聞ける。歌や踊りをやっていて一番良かったと思えたのは、この時だったような気がします。
芸能とは何か。とどのつまり、人を喜ばせることだと思うのです。それを実感できたのが、この年始回りでした。
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