目覚まし時計(前編)
3年生のときだったと思うのです。
講義(授業)の無い時間は、学友と喫茶店。ということもありましたが、お金がかかりますし、どちらかというと、学部の友人たちと過ごすよりも部室(24時間使用可)で過ごすことが多かったのです。部室へ行けばたいてい誰かがいて、しゃべるか歌うか踊るか、何かして過ごしていました。そんな部室でしたので、部員以外の、唄や踊りに興味のある人がやってくることもありました。
その日は、アメリカ人女性がやってきました。20代後半か30代前半。私は知りませんでしたが、部員の話では大学の英語の先生なのだそうです。日本語はあまりわからない様子でした。三線に興味があるということで、部室にいた他の部員たちと一緒に弾いて見せたり触らせてみたり、踊りを見せたりと一通り楽しんでいただいたのでした。
数日後、その先生がまた部室にやってきて、三線店に行ってみたいと言います。なぜか私がお相手することになり、後日、バスで開南通りへ行くことになりました。
当時の開南通りは、与儀公園の近くに一軒、たしか「嘉手納三味線店」という名前だったと思います。そこから農連市場のあたりまでに、2軒か3軒の三味線店があったと記憶しています。その中の一つが「仲本三味線店」。行ったことがあったわけでも、特別な評判を聞いていたわけでもなかったのですが、なんとなく先生と一緒に中本三味線店に入ったのでした。
沖縄の三味線店は、たいていは店とは名ばかりで、作業場といった感じなのでした。
仲本三味線店に入ると、男性の職人さんが2人、いや3人だったか。作業をしているようなしていないような感じです。とにかく先生を連れている私はその職人さんに声をかけるのでした。
「すみません。こちらの女性が三線に興味があるそうで、ちょっと見せていただけますか?」
すると、職人さんの一人が胴のついていない棹を見せてくださいました。先生は、弾ける状態の三線は部室で見ていますが、棹だけの状態を見るのは初めてです。ここで、三線の棹について英語で解説・・・できればいいのですが、私にできるはずもなく。もちろん職人さんも英語で説明してくれるはずもない。まあ、とりあえず私が職人さんに質問をしてみることにしました。
「それ、黒木ですか?」
すると、棹をもっていた職人さんが、
「いやいや、これはユシギよ。黒く見えるけど、黒く塗ってあるわけさ。ほら」
と、芯の部分を指さしたかと思うと、やにわにやすりを右手に持って、なんと、その芯をゴシゴシと削りました。
「ほら、白いだろ」
商品である三線を削ってしまった?え?驚いた私は、
「もういいですいいです。わかりました。ありがとうございます」
それ以上の質問ができなくなってしまいました。
店内を少し見せていただいてから、店を出ました。
先生がこれで満足されたのかどうかはわかりませんでしたが、三線店は以上となりました。
せっかく那覇まで出てきたので(大学のある首里も那覇市ですが、首里と那覇は別の場所という感覚があります)、国際通りまで歩いてハンバーガーを食べようということになりました。
当時の国際通りのハンバーガーショップは、レジにドルのレートが書かれているくらい外国人に慣れていました。先生もそのことはわかっておられて、私の分も含めて先生が注文をしてくれました。このとき、コーラを氷無しで注文したのです。そして、私の方に向き直って(氷が無い方がコーラの量がおおいから)といっていたずらっぽく笑ったのを覚えています。
食事の後、これで解散かと思ったら、思いがけないリクエストが。
「目覚まし時計がほしい」
では、時計店へ。
講義(授業)の無い時間は、学友と喫茶店。ということもありましたが、お金がかかりますし、どちらかというと、学部の友人たちと過ごすよりも部室(24時間使用可)で過ごすことが多かったのです。部室へ行けばたいてい誰かがいて、しゃべるか歌うか踊るか、何かして過ごしていました。そんな部室でしたので、部員以外の、唄や踊りに興味のある人がやってくることもありました。
その日は、アメリカ人女性がやってきました。20代後半か30代前半。私は知りませんでしたが、部員の話では大学の英語の先生なのだそうです。日本語はあまりわからない様子でした。三線に興味があるということで、部室にいた他の部員たちと一緒に弾いて見せたり触らせてみたり、踊りを見せたりと一通り楽しんでいただいたのでした。
数日後、その先生がまた部室にやってきて、三線店に行ってみたいと言います。なぜか私がお相手することになり、後日、バスで開南通りへ行くことになりました。
当時の開南通りは、与儀公園の近くに一軒、たしか「嘉手納三味線店」という名前だったと思います。そこから農連市場のあたりまでに、2軒か3軒の三味線店があったと記憶しています。その中の一つが「仲本三味線店」。行ったことがあったわけでも、特別な評判を聞いていたわけでもなかったのですが、なんとなく先生と一緒に中本三味線店に入ったのでした。
沖縄の三味線店は、たいていは店とは名ばかりで、作業場といった感じなのでした。
仲本三味線店に入ると、男性の職人さんが2人、いや3人だったか。作業をしているようなしていないような感じです。とにかく先生を連れている私はその職人さんに声をかけるのでした。
「すみません。こちらの女性が三線に興味があるそうで、ちょっと見せていただけますか?」
すると、職人さんの一人が胴のついていない棹を見せてくださいました。先生は、弾ける状態の三線は部室で見ていますが、棹だけの状態を見るのは初めてです。ここで、三線の棹について英語で解説・・・できればいいのですが、私にできるはずもなく。もちろん職人さんも英語で説明してくれるはずもない。まあ、とりあえず私が職人さんに質問をしてみることにしました。
「それ、黒木ですか?」
すると、棹をもっていた職人さんが、
「いやいや、これはユシギよ。黒く見えるけど、黒く塗ってあるわけさ。ほら」
と、芯の部分を指さしたかと思うと、やにわにやすりを右手に持って、なんと、その芯をゴシゴシと削りました。
「ほら、白いだろ」
商品である三線を削ってしまった?え?驚いた私は、
「もういいですいいです。わかりました。ありがとうございます」
それ以上の質問ができなくなってしまいました。
店内を少し見せていただいてから、店を出ました。
先生がこれで満足されたのかどうかはわかりませんでしたが、三線店は以上となりました。
せっかく那覇まで出てきたので(大学のある首里も那覇市ですが、首里と那覇は別の場所という感覚があります)、国際通りまで歩いてハンバーガーを食べようということになりました。
当時の国際通りのハンバーガーショップは、レジにドルのレートが書かれているくらい外国人に慣れていました。先生もそのことはわかっておられて、私の分も含めて先生が注文をしてくれました。このとき、コーラを氷無しで注文したのです。そして、私の方に向き直って(氷が無い方がコーラの量がおおいから)といっていたずらっぽく笑ったのを覚えています。
食事の後、これで解散かと思ったら、思いがけないリクエストが。
「目覚まし時計がほしい」
では、時計店へ。
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