YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

発表会の後

1月の発表会が終わると、新しい部長を決めます。その後、新入生を迎えるまではこれといったイベントはありません。
発表会までは発表会の演目ばかりを練習していましたが、ここから4月までの三か月間は自分のやりたい練習をやりたいだけやれる貴重な期間になります。すこしばかり三線が弾けるようになった私は、発表会で先輩たちが地方(じかた=踊りの伴奏)をしていた曲をやってみたり、一生懸命早弾きの練習をしたりしました。
発表会の舞台上では3曲ほどの演奏だけでしたが、練習のときには先輩の演奏をずっと聞いてきました。この時期、先輩の演奏していた曲の工工四を開いて弾いてみると、案外弾ける。歌もずっと聞いていたので、ほぼ覚えている。おかげでレパートリーがぐっと増えたのでした。
さらには、新部長たち=新役員と呼んでいました=が新しい試みとして、施設訪問をしようと計画をたてました。南部にある障害者施設と連絡を取り、小さな発表会をすることになったのでした。
舞台は、八重山の舞踊を中心に、お客さんと一緒に歌える「安里屋ゆんた」や共通語の民謡「八重山育ち」なども含めて、肩ひじ張らない舞台を計画したのです。


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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性