YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

夏合宿9

発表会の開場2時間ほど前になると、男性部員も着替えを始めます。当時は、開場前のミーティングも無かったような。なんとなく着替えを始めて、なんとなく舞台に挑んだような・・・
舞踊は舞踊の衣装ですが、男性部員の最初の斉唱は、ワイシャツにスラックス。ネクタイがミンサー柄で、これは八重芸のものを使うことになっています。が、先輩の中にはネクタイの結べない人がいたりして、私が結んで差し上げたのを覚えています。
着替えたあとは、緞帳を降ろして客席は見えなくなります。開演まで、何をして良いかわからずにうろうろしていたと思います。
最初の演目は、斉唱。男子部員全員が舞台に横一列になって並んで、緞帳が開くのを待ったはずですが、あれから40年以上たった今では覚えていません。ただ、一つだけしっかりと覚えている映像が。

1年生の私が出演するのは、最初の斉唱と最後の「村遊び」だけでした。どのタイミングだったか覚えていませんが、舞台裏から公民館の外に出て、横をぐるっとまわって客席入り口の方へ行ったのです。そのとき、公民館の外にまでお客さんがいて、窓から中を見ていたのです。島中の人が集まったのではないかとおもうぐらい、お客さんであふれていました。驚きました。八重芸って、島のみなさんから愛されているんだろうなと思いました。


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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性