YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

工工四

工工四というものを見たのは、当然、八重芸に入ってからです。当時、三線演奏のための本というのは工工四だけでした。教則本のようなものは存在しなかったと思います。
八重芸が普段使っていたのは「大浜安伴著」のものでした。勘所の図がありましたので、二冊並べて一冊は曲の部分を。もう一冊はこの勘所図を開いて、三線を弾くことができました。弾けますが、歌を知らなければ歌えません。4月5月は鷲ぬ鳥節と真栄里節が新入部員の私の練習曲でしたので、この2曲をがんばって演奏。ですが、同じ曲ばかりでは飽きてきます。
そんなとき、ときどき女性の先輩が「うるし(私の呼び名)、三線弾こう」といって、座って一緒に三線を構えてくれることがありました。工工四を出してきて、最初のページから一緒に弾いていくのです。女性の先輩で舞踊が専門ですから、三線はあまり上手に弾けません。曲の最初の方だけ弾いて「わからん」といって次の曲へいったり、「うるし、この曲知らんか?じゃあ、歌うから、弾け」といった無茶な要求もあったり。でも、これが楽しい。そして、なんだかんだで勉強になりました。あのとき、先輩は自分の楽しみや暇つぶしで相手をしてくれたのか。それとも、一人で三線を弾いている新入部員の私を、少しでも上達させてやろうと指導してくださったのか。きっと後者だったと信じています。

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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性