工工四
工工四というものを見たのは、当然、八重芸に入ってからです。当時、三線演奏のための本というのは工工四だけでした。教則本のようなものは存在しなかったと思います。
八重芸が普段使っていたのは「大浜安伴著」のものでした。勘所の図がありましたので、二冊並べて一冊は曲の部分を。もう一冊はこの勘所図を開いて、三線を弾くことができました。弾けますが、歌を知らなければ歌えません。4月5月は鷲ぬ鳥節と真栄里節が新入部員の私の練習曲でしたので、この2曲をがんばって演奏。ですが、同じ曲ばかりでは飽きてきます。
そんなとき、ときどき女性の先輩が「うるし(私の呼び名)、三線弾こう」といって、座って一緒に三線を構えてくれることがありました。工工四を出してきて、最初のページから一緒に弾いていくのです。女性の先輩で舞踊が専門ですから、三線はあまり上手に弾けません。曲の最初の方だけ弾いて「わからん」といって次の曲へいったり、「うるし、この曲知らんか?じゃあ、歌うから、弾け」といった無茶な要求もあったり。でも、これが楽しい。そして、なんだかんだで勉強になりました。あのとき、先輩は自分の楽しみや暇つぶしで相手をしてくれたのか。それとも、一人で三線を弾いている新入部員の私を、少しでも上達させてやろうと指導してくださったのか。きっと後者だったと信じています。
八重芸が普段使っていたのは「大浜安伴著」のものでした。勘所の図がありましたので、二冊並べて一冊は曲の部分を。もう一冊はこの勘所図を開いて、三線を弾くことができました。弾けますが、歌を知らなければ歌えません。4月5月は鷲ぬ鳥節と真栄里節が新入部員の私の練習曲でしたので、この2曲をがんばって演奏。ですが、同じ曲ばかりでは飽きてきます。
そんなとき、ときどき女性の先輩が「うるし(私の呼び名)、三線弾こう」といって、座って一緒に三線を構えてくれることがありました。工工四を出してきて、最初のページから一緒に弾いていくのです。女性の先輩で舞踊が専門ですから、三線はあまり上手に弾けません。曲の最初の方だけ弾いて「わからん」といって次の曲へいったり、「うるし、この曲知らんか?じゃあ、歌うから、弾け」といった無茶な要求もあったり。でも、これが楽しい。そして、なんだかんだで勉強になりました。あのとき、先輩は自分の楽しみや暇つぶしで相手をしてくれたのか。それとも、一人で三線を弾いている新入部員の私を、少しでも上達させてやろうと指導してくださったのか。きっと後者だったと信じています。
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