YAEGEI

2019年に解散した琉球大学八重山芸能研究会の個人的思い出を書き溜めました

はじめての三線

 最初に私の相手をしてくれたのは、2年生のT先輩(女性)でした。私は畳の上に正座していました。先輩は胡座をかいて微笑みながら話しかけてくれました。
 「内地か?」
 「はい。大阪です」
 「三線、弾いたことあるか?」(この「三線」はシャミセンと発音していました)
 「いいえ、ありません。さわったこともありません」
 「だあ、そこに三線あるさ。触れ」
 「はい。ありがとうございます」
 T先輩が三線ケースの蓋を開いて、私の目の前押し出しました。ケースに入ったままの三線の棹に、人差し指と中指でちょんと触れて、
 「ありがとうございました」
 先輩は大笑いしました。笑いながらケースから三線を取り出して、ウマを立てました。調弦をして、傍にいた男性部員にこれで良いかと確認して、その三線を私に手渡しました。
 「弾け」
 「え?弾いたことないので」
 「そこに工工四があるさ。見て弾いて」
 もちろん、弾けません。先輩は工工四の「勘所図」を私に見せて、簡単に説明をしてくれました。
 というのが、はじめての三線でした。

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hidarinodo
1978年に八重芸に入った男性