覚悟していたこと
入部して間もない頃、本島南部出身で2年生のB先輩が話しかけてくれました。
「ヤマトゥーか?」
「はい。大阪です」
「おれたちウチナーンチュは、ヤマトゥーを信用していないからよ」
「はい」
歴史的に、そのように思われているだろうことは覚悟していました。口に出すか出さないかの違いだけで、これは多くの沖縄県民の気持ちだろうと思いました。「嫌い」という言葉を使わなかったのは、新入部員への思いやりなのです。正座したまま黙って聞いている私を前に、薩摩の琉球支配や沖縄戦の話をしているのは、先輩が私を嫌う理由を並べ立てているのではなく、好きになれない理由が過去にあるのだというやさしい言い訳にも思えました。そして、最後に
「でもよ、薩摩よりはマシだからよ」
鹿児島県民のみなさん、ごめんなさい。でもこれ、大阪出身の私に対する精一杯のやさしさだったと思うのです。
それからしばらくして、私が三線を購入したいと先輩方に相談したところ、このB先輩がわざわざ時間を作って、私を三線店に連れて行ってくれたのでした。私が最初に買った三線がそれでした。皮を何度も張り替え、塗りもやりななおして、今も私の家にあります。棚の上ですけどね。